帰還の報告と泥酔

 

  十二月X日に日本に、久し振りに戻ることになりました。
 家族に顔を見せたいと思い、数日滞在するつもりだが、その後は久保田博士の研究に加わるため、また月に行く。その前に、お前たちの顔が久し振りに見たい。
 最後に会ったのは、俺がフィジーに赴任するときだったから、それから二年にもなるんだなあ。そう思うと、無性にお前たちの現在を確かめたくてなりません。
 忙しいだろう大学生のことだから、特に無理して都合をつけなくてもいいが、できれば会いに来て欲しい。

 from ―― 早川 裕作。

 

 新宿の待ち合わせ定番であるスタジオアルタ前。
 遠藤 耕一郎は左腕の時計を眺めた。
 彼の腕には、もう普通の時計しかない。普通の、白い文字盤に黒い針のシンプルな時計。
 そこに二年間あったデジタイザーは一年前にI.N.E.Tへ条件付で返上している。今頃、六つのスーツと転送システムは月面基地に保存されているはずだ。
 返上の条件というのは、また緊急事態が起きれば自分たちが変身するということである。
 久保田博士はこれ以上学生を拘束することを是としなかったが、I.N.E.T幹部による決議がそれを受け入れず、彼らの今までの戦闘によるデータの蓄積、そして何よりもシステム自体に実績を加えたことが評価された結果、もともと隊員であった早川裕作を含む六人の元戦士と組織代表との間に、ある種の取り引きを成り立たせるような格好になってしまった。
 スーツ転送のシステムにDNAが登録されている上に、それが声紋で起動することが第一因で、それをすべて書き換えるのには莫大な資金がかかるという実際的な問題がついているからだった。
 この先何かが起こるような場合、彼らがそのままスーツを使用すれば、前回の戦闘時と身体能力を比較し、その変化分だけを修正すればまたシステムは使用でき、費用は新たな人材を選出するよりははるかに少なくて済む訳である。
 というのも、I.N.E.T自体が地球防衛の役割を終えるに伴い、団体の性質を変えることになったのだ。戦闘のための研究から、その戦闘によって守ったものを維持する研究への方向転換を、団体の存続のために強いられたのである。
 確かに試行錯誤はあったものの、現在I.N.E.Tはその脱皮にも成功し、化学技術を開発、応用、伝播する健全な団体として多方面での活躍を見せている。
 そして天才エンジニアと呼び声高かった早川 裕作は、そんな組織の変革の中、何故か自ら希望して科学の最先端から外れることを決意する。
 久保田博士はこの優秀な人材を宇宙開発部門に残したいと思い、強く慰留したが、彼自身が「そろそろ俺、地球に戻りたいんです」と言って聞かなかったことから、派遣が決定したらしい。
 そんな訳で、早川 裕作は二年前の変革が模索され始めたころから、コンピューターの、極めて基礎的な技術を指導しにオセアニアの島嶼に派遣されていた。

 今回のメールは、その、彼にとっては簡単過ぎる仕事が済んでの帰国を告げるものだったのだ。
「…」
まだ、待ち合わせの時刻より十分ほど早い。
 どんなひととの待ち合わせでも十五分は早く、その場に到着している耕一郎である。彼の律儀さは相変わらずだ。
 彼は待ち合わせの人波の中で俯くと、自分の着ているものを確認する。
 ――黒いジップアップのコートにグレーのタートル、黒いレザーパンツ、黒いブーツ…。 何故か黒ずくめ。意識してそうした訳ではないのだが、黒いことに気付いた。
 しかし、そのおかげか、肩を叩かれた。
「よう、耕一郎だろう?」
顔を上げる前に懐かしさで立ちくらみがしそうになる。
「はい」
顔を上げて相手を確認すると、やはり早川 裕作だった。荷物らしい荷物は持っていないが、シングルのスーツにトレンチコートが、仕事帰りかなと思わせる。「ただいま」
以前と変わらない人懐こい笑顔が眩しそうに自分を眺めている。耕一郎は咄嗟に言葉が出ずに、差し出された右手に握手を返すのが精一杯だった。
「おかえりなさい。とりあえずお元気そうで何よりです」
時間だけが巻き戻ったように彼との間には何の違和感もない。ただ、慕わしさだけが蘇った。「まあな…」
そして、裕作らしい遠慮のない一言。「おい、お前、学ランどうしたよ?」
「さすがにもう着てません」
 それから瞬が画材とキャンバスを背負った姿で現れた。「ちっとも変わってないね、裕作さん」
 ちっとも、というところに力点を置いた厭味っぽい口調だったが、彼の顔を見れば、その変化のなさが嬉しいのだと分かる。
 次に現れたのは、あらかじめ二人で待ち合わせて来たらしいみくと千里だった。
 みくは裕作の姿を見るなり抱きつく。「わーい、ほんとに裕作さんだあ。嬉しいーっ」
 みくに対して出遅れたかたちとなった千里はただ、
「おかえりなさい」と微笑んだ。無事な姿が見られて安堵してしまい、上手く喜びが表現できなかった。
「ありがとう」恥ずかしそうにみくの腕からすり抜けて、裕作は女の子ふたりを代わる代わる見た。
 女子短大生のみくは、襟にファーのついた長めのコートに黒いストレッチブーツ。手にはウサギの皮の四角いバッグを持った流行の服装である。いつもふたつにしていた髪の毛は肩に下ろしていた。
 千里はそれよりは落ちついた感じで、水色の薄く羽根を入れたダウンにチャコールグレイの長いマフラー、ストレッチジーンズ。一年前にショートにしたとメールを寄越した髪もだいぶ伸びたようだ。
 裕作は目を細めて
「ふたりともきれいになったな」と、ひどく嬉しそうに言った。
「悪いー、待たせたっ」
 最後のひとりとなった健太は十五分遅れの到着だったが、これが彼らしくて誰も咎めず、久し振りに顔を合わせた六人は場所を移そうということになった。
「裕作さんはやっぱり日本食がいい?」
「別にかまわないよ。もう、何でもいい。とにかく腹減った」
 となれば、美味しいことには詳しいみくが先頭になって店まで歩く。彼女が案内してくれたのはイタリア料理の店だった。夕食時だったが、平日でもあり、すんなりとテーブルまで通された。
「何食べたい?」
「みくちゃんに任せる。何注文してもいいよ、俺が払うから」
上座を占めた裕作に言われて、みくがてきぱきとオーダーをする。みくの向かい側に座った瞬が彼女に何か言っていた。――彼の仕種を見る限り、瞬もこの店の勝手を知っているようである。
 どうも、一緒に来たことある店らしい。
 千里も裕作も気付いていながらニヤニヤするだけで、敢えて口に出さなかった。耕一郎は単に何とも思わず、健太はあっさりと
「何? ふたりで来たことあんの?」と突っ込んだ。
「ばかっ」瞬の隣から千里が、向かいの健太の頭を叩く。しかし、
「うん。この間な」
しれっと瞬が答えた。さすがにみくは彼ほど平然とはしていなかったが、
「…うん」と、俯き加減に肯定したのだった。
 みくの顔には、少し恥ずかしそうな中にも、何となく嬉しそうな表情があって、その場も白けるどころか安堵して更に明るくなる。
「ふたりに限らず、みんな学校がバラバラでも頻繁に会ってるの?」
「一応、定例会みたいな形で月に一度は会おうとしてるんですが、なかなか…」
耕一郎は裕作の酌でビールをかなり空けていたが、顔色ひとつ変わらない。特に好きではなさそうだが強いらしい。
「最後に五人揃ったのいつだったっけ?」
みくはウーロン茶で通していた。――実際は飲めるのだが、ただ単に瞬の前では飲みたくなかったのだ。
「夏休み明けてすぐじゃないかなあ。それからは誰かひとり必ず抜けてたよね」
千里は器用にパスタをフォークに巻いている。彼女の手元には白ワインのグラスがあった。
「ていうか、耕一郎か瞬のどっちかがいつも来ねえんだよな」
健太がピザの最後の一切れを手に取る。これで、大皿の上の食べ物はあらかたなくなった。
「健太みたいに不真面目じゃないの、俺は」
真面目に勉強しているらしい瞬が、既に語学の再履修を決めている健太に言うと、やけに説得力のある言葉である。
「――付き合いが悪いのは、自分でも認めるけどな」
「耕一郎も、“健太みたいに不真面目じゃない”のか?」
裕作が、耕一郎に尋ねるというよりは、健太をからかうように言った。
 それに答えて耕一郎が
「いや、そんなことは――」
と言いかけたのを遮って、千里が笑う。
「耕一郎も真面目に勉強してて忙しいのよねえ?」
瞬は耕一郎の横顔を盗み見る。案の定、傷ついた顔をしていた。その言葉に対して何も言い返さない彼のことを、意気地がないとは決して思わない。
 耕一郎はひたすらに優しいだけだ。
 ただ、千里は案外性格が悪い、と、瞬は思う。彼がテーブルに頬杖をして眺めると、自分にそう思われているとは夢にも思わない様子で、千里は喋り続けている。
「弁護士になるには、ほら、まず司法試験に通らないといけないもん。頑張ってねえ、耕一郎?」
こうやって、耕一郎を傷つけて遊んでいるんじゃないか、とも思う。
 ただ、千里が耕一郎の気持ちに気付いているのかいないのか、それは誰にも分からないのだ。――気付いているのだとすれば、大罪だが。
 そこまで思いついて、ふと顔を上げると、向かいのみくと目が合った。つまらなそうな顔をしていると思ったらしく、みくは不安そうにこちらを見ている。
 それで、彼女を安心させるのににっこりしてやったら、やはりみくは嬉しそうに頬を赤くする。

 …俺も千里と同類なのかな…?

 あまり、そうは思いたくない。
 しかし、今彼女に微笑みかけたこのことが、思わせぶりな態度の範疇に入るのだとすれば、自分と千里を区別するのは無理かも知れなかった。
 それに、自分にそのつもりがなくても、今までにみくのことはかなり傷つけているだろうとも分かっている。ぼんやりと自覚しながら、どうすることもできない。
 彼女に請われて会っても傷つけるし、会わなくても傷つける。
 すべては、自分が彼女に対して決定的な感情を持てないのが原因だ。煮え切らないと責められることがあっても、こればかりは仕方ない。

 ――千里よりも、もしかしたら俺、悪人かも…。

「デザートにケーキ食べるひと、手を挙げてー」
「はーい」
手を挙げたのは、千里と瞬。瞬は、ここのガトーショコラが美味しいことを知っている。
「…つーか、アルコールがもうないんだけど。俺、あんまり飲んでないのに」
健太の言葉に改めて一同がテーブルを見ると、裕作と耕一郎のを取り囲むようにビールとワインの空き瓶が並んでいた。
 そして、裕作の目が据わっている。


 西新宿の高層ビルが星の見えない夜空を突き刺している様子を見上げる公園のベンチ。
 裕作の懐から懐かしい音がした。ケイタイザーの音だが、裕作は相変わらず眠ったままである。五人は顔を見合わせたが、どうせ面倒を引き受けるのは今も耕一郎だ。
 彼が通話ボタンを押した途端、
「こらーっ、早川―っっ!」
これまた懐かしい久保田博士の声で、まだ耳にスピーカーを持っていってないのに十分に聞こえた。「日本に着いたらさっさと連絡を寄越せと言っただろう!? 一体今どこにいるんだ!?」
 そのビンビン響く声に五人は苦笑する。
「…博士、お久し振りです、耕一郎です」
「博士、みくでーす」
「千里です」
「おっさん、元気かあ?」
「どうも、瞬です」
「どうして君たちがいるんだ?」意外そうな声だが、嬉しそうでもある。
瞬が質問には答えず、再び耕一郎にケイタイザーを戻した。
「申し訳ありません。裕作さんは僕たちと一緒にいます、ただ…」
「“ただ”、どうしたんだ?」
「寝てしまっているんです。どうやら俺が飲ませ過ぎたようで――」
「君がか?」
耕一郎としても、飲ませようと思ったのではなく、気付けば自分と同じペースで飲んでいた裕作が勝手に潰れていたので、あまり罪の意識はない。
「はあ…。これから裕作さんをどうしたらいいか話し合っていたところでした」
「明日、彼を迎えに武蔵野の日本支部に人を遣ることになっている。それは早川も承知しているはずなんだが…」
耕一郎が、輪になって自分を取り囲む四人の顔を眺めながら、久保田博士の言葉を意図的に繰り返した。「裕作さんは明日、武蔵野から月面基地に戻るんですか」
 すると、瞬が耕一郎から電話を取り上げる。「裕作さんは、俺のうちに連れて行きます。明日は必ず武蔵野に行ってもらいますから安心して下さい」
 他の四人と違って、瞬の家には彼を待つ家族が現在はいない。彼にとってただひとりの家族である父親が海外に長期出張しているからだ。
「えーっ、裕作さんずるい」みくが本気で言った。
裕作はほんの少し千里の肩にもたれた格好で、相変わらず寝ている。
「みくも今から潰れたらいいじゃん」と、健太が笑った。
「あっ、そっか」
「ばか。潰れたら俺が背負って家まで送って行ってやる」耕一郎もまた本気である。
「やだっ。ひとの恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじゃえ。耕一郎のばか、朴念仁」
「…死ぬのは嫌だが、ばかと朴念仁で結構だ」
 それから裕作を無理矢理起こして歩かせようとしたが、瞬が裕作を抱えた途端、何かを諦めた。
「…重い。俺、それじゃなくてもイーゼルとキャンバスあるんだよ」
自分に寄りかかってくる裕作を持て余しながら、健太か耕一郎について来て欲しいと遠慮なく言う。それに対する健太の答えもまた、全く遠慮がない。
「俺やだ。明日の一限遅刻したら単位出なくなるもん」
それに、健太の家の最寄はJR総武線であり、小田急線の瞬の家とは遠い。
「瞬、あたしがついてく」
「みく、お前も懲りないやつだな。――俺がついて行こう。多摩を回って帰っても、終電には乗れるだろう」
女の子が午前様だなんて絶対にだめだ、と、久し振りに耕一郎がこめかみをピクピクさせた。

 いい加減暗闇に慣れた目を開けたら、天井にシャンデリアが下がっているのが見えた。
 ――成城の坊ちゃんってのは本当だったんだなあ…。
 並樹 瞬という少年のことを初めて知ったのは、自分が開発に携わっていたメガスーツのひとつを装着することになった高校生としてであり、極めて事務的な書類が自分のところに回ってきたのをよく覚えている。
 商社の取締役を務める父親と、既に故人の母親は世界的フルート奏者だったという、芸術的センスと学力に恵まれた少年。――裕作は、まるで悩みのない王子サマのような、浮世離れした子供を想像していたものだった。
 遠くで盛んに吠える犬の鳴き声がして、彼は起きあがってみた。
 疲れていたのですぐ眠くなってしまったが、もともとアルコールには強く、今も気持ち悪いとか吐きそうだという感覚はない。
 自分はソファベッドらしい上である。立ってドアの横のスイッチを入れると、途端にキラキラとシャンデリアに灯りが点いた。
 応接セットがあり、客間らしくもある。ただ、壁が見えないくらい画材が積み上げられていた。油彩のキャンバスが立てかけてある隣から、石膏のソクラテスがこちらを睨む。
 その哲学者の胸像に近寄れば、瞬が描いたに違いない何冊ものクロッキーが重ねられているのに気付く。
 いろいろな角度、いろいろなタッチで描かれたそれら――ちびた木炭を駆使して模索されたものたち。
「…」
少年はこの絵のように、少しずつ――白い紙の上に輪郭、明暗、濃淡をつけるように――将来を造形しているのだろう。
 裕作は開いていたクロッキー帳を閉じた。

 自分はこれからどうするつもりなのだろうか?

 人間はいつでもその気になればやり直せると思うけれど、決定的なことは久保田博士に誘いを受けた大学院の頃に決まってしまったような気がしている。
 科学というものに何の疑いもなく、自分の能力を認めてくれ、必要としてくれたひとを頼って地球さえ後にできたあの日の自分には、何の怖れもなかった。
 ひたすらに嬉しかった。
 自分にも取り柄らしいものがあって、それを認めてくれるひとがいたことが自分を突き進ませた。
 生来無鉄砲だとは思うが、その決断をあっさりとできてしまった日はやはり若かったのだと、最近分かった。
 その日決めたように、自分はたぶんこのまま科学の世界の中で生きるのだろう。

 …科学に対する迷いを深めた状態のままで。

 翌朝、裕作は並樹家の冷蔵庫をあさって、家庭的な朝食を作り上げた。
 白いご飯と大根の千六本の味噌汁、それに、卵が手付かずで冷蔵されていたので、卵焼きを焼いた。更にキャベツの即席漬けをつくり、棚の中の味付け海苔で何とか一汁三菜。裕作にとっても二年ぶりの日本食である。
 台所の足元には、口を閉じたコンビニのビニール袋が転がっている。そのごみのほとんどが燃えないごみであることから、瞬が自炊らしいことをしていないのは明らかだった。ぎっしり食料の詰まった冷蔵庫とそれが奇妙なコントラストを生み出している。
「うわあ、朝ご飯だあ」
朝の挨拶もせずに、瞬が目を輝かせる。「前に朝ご飯まともに食ったの、もういつか分からないくらいだからなあ。あるだけで感動する」
裕作さん連れてきて良かった、と笑った。彼は夜通し絵を描いていたようで、目の下に隈があり、昨日の夜と全く同じ服装で、絵の具で汚れた手をシンクで洗っている。
 彼があんまり感動するから、昨日泊めてもらったことの礼も言いそびれた。「…良かったら食えよ」
最初からそのつもりでつくったのだ。
「いただきます」一口食べて、うわー、とまた歓声を上げる。「おいしい、うまい」
喜んでくれたのは嬉しかったが、それは日頃温かみのない生活を彼が送っていることの証拠であり、裕作は複雑だった。
「食べたくなったら、いつでも呼んでくれ」
「裕作さんて、俺が呼んだら、そんなくだらない用件でも本当に来てくれそうで、そういうとこ好きです」
 瞬は、こういうところがある。

 いつもクールで、相手が何をしていても気にしない代わりに、相手が自分に干渉するのを拒んで、そのくせ、いきなり心を全開にしてくるような懐き方をするときもある。

 罪、と言えば言えなくもない性格だ。

「ばか。俺は“来てくれそう”なんじゃなくて、本当に来るんだよ」
瞬は午後からの講義に出席するので、自宅の玄関で、武蔵野へ行く裕作を見送ってくれた。
「そうだ。耕一郎にメールでも出すとき、礼を言ってやって下さい。裕作さんをここまで背負ったのはあいつだから」


 武蔵野の空は、都会にありふれたぼやけた晴天で、飛行には支障がないらしい。“船”を操縦してきたクルーに予定通りの午後一時に離陸しようと言われた。
 通信室へ続く長い廊下の向こうから、見慣れた矮躯の男が近寄ってくる。
 半分怒ったような顔の久保田博士だった。裕作の顔を見るなり
「年長者のお前が何てザマだ」と言った。
「へっ?」
「昨日の夜、連絡したところ、お前が寝ていると言って耕一郎が出たぞ」
「…」言い訳のしようがない。
悪戯が見つかったように舌を出す部下を見て、博士は苦笑した。
「何にせよ、よく帰ってきた」博士が手を差し出してくれた。「おかえり」
 裕作は、離脱した自分を以前のように何の衒いもなく扱ってくれるのを有難く思い、手を握った。

「――ただいま、戻りました」

Fin.

 

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