PRESENT

 

 12月24日の夕方となれば、宗教というものに節操ない態度で生きる日本人は、ただそのもみの木が金色の輝きを纏って乱立している風情だけで心を浮き立たせる。
 その「一億総浮かれ気分」な中、並樹瞬はいつもの日曜日と同じように遅めに起床、朝ご飯は食べないまま、正午を過ぎて自宅を出る。
 天気は良かったが、その空気のきれいなことが寒さを澄んだそのまま、肌に突き刺してくるようで、天気予報で告げられた気温よりずっと寒く感じられた。
「…」
瞬は家の門扉に鍵をしたその手で、左胸のあたりに触る。現金がそこにあることを確かめたのである。所謂小遣い的な性質の金ではなく、それは彼が労働と引き換えに得た、少しばかり貴さの増した金である。
 在宅で、彼に言わせると「適当にやるだけ」のプログラミングのアルバイトで、全く苦になることなどなかったのだが、そんな安易な仕事であっても仕事は仕事。彼が稼いだ“お給料”ということは間違いがない。
 夕方にいつもの面々と会う約束をしていた。――その前にみくとだけ会うべく、彼は今自宅を出るのだ。
 そういうふうに彼女だけを特別扱いすることには、すっかり慣れた。
 対して彼女はというと、そんな自分の心遣いには全く慣れていない様子で、いつに何をしてやっても喜色満面の笑顔で
「ありがとう、瞬ー!」
と言ってくれる。
 いつも言ってくれるから、そのことに新鮮味は勿論失われていく訳だが、彼女とはそれでいいのだと思っていた。
 その態度に、ただドキドキする以上の、彼女への慕わしさが増すのを感じられるのだから。

 みくは、擦れ違う人波に軽くさらわれて、一瞬だけ自分の意志とは関係なく立ち止まらざるをえなくなった。
「んー、もうっ…」
そこは、有名デパートのビルの正面。
「…」
水色の地に、黒く上品なアルファベットの文字で、そのテナントはブランド名を掲げていた。
 女の子の憧れ。
 あの大女優の顔がふと思い浮かばれる。
 瞬を追いかけようと踏み出す前に、少し視界の隅に入った清純さそのもののような色合いに、意識が奪われる。
「みく、大丈夫か?」
 瞬が立ち止まって振り向くと、みくはその店から出て来た一組の恋人らしい男女を見送っていた。
「う、うん」
また視線を前方に戻す彼に追いつきながら、自分が何を思ったのか悟られた気がして、胸が痛い。
 ただひたすらの片想いが成就したらしい、それ以上のことを彼に要求してはいけない。たぶん彼は、自分がこう思っていると知れば
「どうしてそんな遠慮する?」
ひどく不思議そうに言った後で優しく笑うか、みくがまだ自分に開示していない心の部分を持っていることに不機嫌になるか、そのどちらかだろう。
 人の肩を一生懸命に避けながら、平均よりは身長の低い彼女が自分に並んでくる。
「みく」
それを確認するように瞬はみくへ視線を落としたが、また前方へ戻す。「俺は、自分がプレゼントしたものを相手が身につけているか、会う度に確認して自己満足するような趣味は持ち合わせてないから、欲しいと言わないといつまで経ってもあの手のものは買ってやらないからな」
「ありがとう、瞬ーっっ」
 そうしてごくごくありふれたプレゼントの形に、瞬は嘆息するのだった。
 …どうかしてる。
 自分のオリジナリティが、今回のこのことで欠けた気がしたが、そう感じても傷つかなかった。それはただ一重に、この行為が彼女のためだからだと思う。
 …それを理由にできてしまうあたり、もう、本当にどうかしてる。
 不自然な彼の吐息を不安がって、みくが下から覗いてきた。間延びしたが
「どういたしまして」
と言って、瞬は銀のトレイの上に、店員に言われるままの代金を置いた。

 待ち合わせのコーヒースタンドには、ひどく具合の悪そうな耕一郎がカウンターに肘をついていた。その後ろ姿を認めて、瞬が苦笑する。
「やっぱりいたな」
待ち合わせ場所には15分前に必ず到着していること、ひとをいくら待っても構わない(ただ、そのとき彼の機嫌が損なわれていない保証はない)が、ひとを待たせるのは恥と心得る彼がいないはずのない頃合いではあった。
 ――さあ、シフトしないと。
 みくは瞬を残念そうに見上げた。
 ただ、彼女は彼に関して特別な賢さを発揮するから、それ以上に何かを言うようなことはしなかった。瞬にはそのことが実に心地良い。
 彼はその満足感だけは伝えようとして、そっと彼女がバッグの持ち手を握る指に触れる。
 陶器のコーヒーカップがソーサーと重なる音や、さざめく客の話し声がみくの中で静寂する。弾かれたように上げられた瞳に少し笑って、瞬は手を離した。
「耕一郎」
呼びかけると、容易に友人は振り返った。“ふたり”だということに気付いたようだが、そこに頓着する耕一郎ではない。
「よお、早いな」
ずっと自分のほうが早く来たくせにそんなことを言う。
 こちらには1対2と感じられていた空間が、たちまちに繋がる。自分を取り巻いていた濃密な空気が一気に希薄になる。瞬はそれに気付かないフリで耕一郎の隣に座った。
「顔色が悪い、どうした?」
「民法勉強会の忘年会で昨日からオール…」言われなくても貫徹が顔に出ていた。
耕一郎のことだから羽目を外すはずないのだが、先輩から注がれた酒は断れなかったりするらしい。そういう精神的な圧迫のある酒は疲れるだろう。
「それはそれは」下戸の瞬は、正直、いい気味だと思って笑う。
「お前はいいな。飲めないことが理由にできて」
「人聞きの悪い言い方だな。――理由にするだけのことじゃなくて、事実なんだから仕方ないだろう」
まだ座りもせず、ふたりをぼんやりと眺めているみくを瞬が降り返った。
 みくはまだ切換えられないらしい。
 瞬は、耕一郎が目許を両手で覆って頭痛を嘆いた隙に、みくの腕を引いて、彼女の座るべきところを示す。
 また、みくは動けなくなってしまう。

Fin.

 

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