Spring of Life プロローグ

 

「憧れのおねえさま」
「は?」
カルディアが、セラフィナからの手紙を見てぽつんと言った一言を、デジェルは聞き咎めた。
 教皇から任務の指令を受け自分の宮に戻ると、暇だと言って遊びにきたこの男に出くわしたのだ。
 噛みしめれば噛みしめるほど、その言葉の的確さが増す気がして無性に腹が立つ。自分でも分類の及んでいなかったところを、他人の、しかもカルディアなどにすぱりと整理されたのだ。――しかもカルディアに。
 よほど不可解で不本意な顔をしていたのだろう、相手はこちらを覗き込んでまで笑い出す。デジェルは顔を背けた。出立の準備に聖衣を身体から外して箱へ収め始める。
「いや、だってそうだろう?、そうなんだろ?、今そういう顔してた」
カルディアの思考は回りくどくない。直感的で短絡的。しかしだからこそその言葉には、スピード感があり、悔しいが真実も多い。
「…」
しかし認めたくはない。最も、この指摘も別の人間から受けたなら、頷いていたかも知れないが。
 同僚たる黄金聖闘士たちは、早く一人前になりたくてジタバタした経験を持ち、お互いがひとかたならぬ自尊心を持っていることを理解しているので、こちらを尊重し傷つけない扱いをしてくれるが、このカルディアについては全く逆だった。
 相手の隙や弱味を――おそらく意識することなく本能で――常に探っている。まさに蠍が急所を狙って虐めるのに似ている。
「舞踏会って、いいなぁ、俺も何か旨いもの食いたい。いい酒も出そうじゃん」
全く気楽なことを言ってくれる。
 享楽主義というのか刹那主義というのか、この男からそれを感じるのはこれが初めてではない。万事が万事こんな感じなので振り回されたくないあまり、親しくもしていないつもりだった。
 だが、そんなデジェルの思惑とは裏腹に周囲からは仲が良いと思われがちなのは、カルディアがこちらに懐いているからなのだが、カルディアと同い年のデジェルは、それに気付けるほど寛大な視点をカルディアに対して持てていなかった。
 ともかく今は脳が煮えるほどただひとつのことを考えていたいというのに、カルディアはだらだら、セラフィナからの手紙の続きを無神経に読み続ける。取り上げたいが、取り上げた後が面倒くさそうで、デジェルは着替えを続けた。
「でも、俺踊れないし」
「?」
「フランスの社交界って、ダンスできないとやれないじゃん。しかも舞踏会ってさ」
だから俺前にこの手の任務断ったことある、今更そんなもん覚える気ないし、というカルディアの言葉の続きはデジェルの耳には途中から聞こえてこなくなった。が、何でもないふりで、ブラウスにタイを結ぶ。
「あ、お前も踊れないんだ?」
「!」
またこの男は、こちらが口が裂けても言いたくない状況をつくり出してくれる。
 フランスで生まれたとは言え下流に近い境遇で育ち、少年期からこちらは毎日厳しい修行を重ね現在に至る自分に、娯楽を身につける暇があったのなら誰か過去に戻って教えてほしいものだ。 いや、ダンスはむしろ教養の範疇なのか。
「――いずれにせよ私に回避は許されない。今回の任務は私にしかできない。それに、誰にも任せたくない」
カルディアは読んでいた手紙を畳んで封筒に戻すと、にやりと笑ってこちらに手渡してくれた。
「ふーん、譲れない獲物なわけ…か。まあ、憧れのおねえさまにでも習えば?」
続けて、つくづくつまらないといった様子で言う。
「高嶺の花か太陽か。手が届かないなら、俺には要らないけど」
「…」
彼のことを嫌いではないが、この男とは本当に意見が合わないのだな、と思うのはこういうときだ。
 そういう、ごくごくシンプルな割り切りがときに必要なことも知っている。だが、セラフィナという存在は、自分が聖闘士である限り切り捨てることも、女性として大切にすることもできない。そのこともわかっている。そして、自分が選んだのは後者だ。
 中間的で、しかし確実に自分には大きなもの。抱えたところで、これからの自分に利益をもたらすとは限らないのに。
 語ったところですべて自分の好みで一刀両断したがるこの男には理解不能だろう。
 デジェルは、手紙をコートの内側のポケットにしまう。美しい文字で、自分の名前が記してある手紙。そして立ち上がると聖衣箱を背負った。時間が惜しい。
「もう行くのか」
「ああ。容易に戻れない場所だからな。私が帰るまで体調崩さんでいろよ」
「お。優しいこと言ってくれるじゃん」
「違う!、お前が具合を悪くするとアテナ様がお心を痛めるから言ったのだ」
「照れ屋さん!、そういうことにしといてやるよ。お前の師匠ってのとおねえさまによろしくな!」
「しつこいぞ」
それでもけらけらと笑うカルディアに、ほんの少し救われたような気になって、デジェルは聖域からパリへ旅立った。

 この旅の先に、生涯忘れ得ぬできごとが待ち受けていることなど、予測もつかぬままに。――
 

To be continued.

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