MERRY CHRISTMAS WITH YOU
クリスマスイブの夜。
今夜はクリスマスイブなのである。
クランは、静まりかえったマクロス・クォーターのラウンジで、カフェモカに暴力的な量の生クリームをトッピングしていた。
遠い昔の明日の早朝、馬小屋で救世主が誕生したという。その名はキリスト。キリストの誕生日がクリスマス。
その前夜、救世主の誕生を預言して瞬く星を、三人の賢者が夜通しラクダに乗って追ったという。
だが、いつから人類はその日とその前夜を浮かれ過ごすようになったのだろう。
うーん…。わからんな…。
しかし彼女とてそのバカ騒ぎが嫌いな訳ではない。家族と少し豪華な食事をしたり、友人同士の気の置けない雰囲気で過ごすのも好きだ。
そして憧れもある。あるからこそ、恋人がいる同期と当直を交代してしまった。
大切なひとと過ごす権利があるなら行使するべきだと思う。同期の彼は、拝むように感謝してくれた。
運良く、SMSが契約しているフロンティア政府は現在戦争状態にない。クランもその同期の彼も、明日死ぬような目には遭わないだろうが、やはり今を大切にするべきだ。このことをクランは両親から教えられて育ったし、身近に教訓があった。
仮眠するか、ここでひとりだらだらするか迷い、試しにモニタの一台をテレビ放送に切り替えてみる。気に入らなければ寝るだけだ。
そうするうち、あるチャンネルで、シェリルとランカが歌っているのにぶつかり、クランはカウンターに座った。
フロンティアのアイランド1には雪が降るような気候はプログラムされていないが、文化を知る生物が持つクリスマスの原風景は、暖炉とそこに暖かく燃える炎、窓の外に舞うちらちら白いものの組み合わせらしい。
ふたりは、そういう暖色に彩られたセットで歌っていた。
それを頬杖をついて眺める。
ぬくもりそのものの、家庭の風景。それは自分にも経験がある。
ただし、ある年以降はうわの空だった。両親が自分を喜ばせようと準備してくれたというのに、そのときは、どこにいるとも知れなくなった幼なじみに想いを巡らせていたからだ。
それはクリスマスに限らない。
ミハエルが姉を喪い、望んで施設で暮らし始めた後も、会えなくても季節が巡って、かつて一緒に経験したイベントのたびに彼を思った。
最初のうちは、どうして彼がそういう身の振り方をしたのかの理由を想像しては、その正解のない堂々巡りがどんな着地を見せても悲しかった。
諦めの入った気持ちであるものの、ミシェルは今頃どうしているだろうかと比較的穏やかな気持ちで考えられるようになったのは、かなり時間が経ってからだ。
――今日は。
やはり誰か、付き合っている女性と一緒にいるのだろうか。
思わず溜め息が出た。
ミハエルの行動に照らすと「付き合う」という言葉の意味すらよくわからなくなるほど、彼女はまだ純粋で、知らないことが多過ぎた。
扉が開く音がした。
また誰か、シフト運の悪い当直者が入ってきたのだろうとクランは何気なく目を遣った。
「げっ」
何と。
ミハエルだった。様子は普段と全く変わりがない。
だが、そこに彼がいる理由と意味がわからない。
「こんな日におつかれさまでーす」
ふざけているのは明白だ。へらへらして近寄ってくる。
「お前っっ、何故お前がここにいる?」
「当直をルカと代わった」
そういう答えを求めているのではない。
ミハエルは知ってか知らずか、別の答えをせがむ視線から外れて、コーヒーメーカーにかかりっぱなしの酸っぱくなったコーヒーをカップに注いだ。
「でっ、出かける用はなかったのか?」
「ああ、別に。あれば代わってなんかやらん」
一口飲んで、相当まずくなっていたらしい、うえーっと舌を出す。
「…」
クランは黙った。
女のところに行かないのか、などと状況的に訊けるはずもなく、なけなしのプライドもあって尋ねたくない。
ミハエルは彼女の隣に座って、モニターへ目を遣った。平和なクリスマス風景が映っていた。しかし隣からは、マグカップを小さな両手に包み、好奇心と猜疑心がない交ぜになっている不穏な気配がする。
クランが聞きたがっていることの察しはついていない訳ではない。ただ、自分には、それを答える義理がないだけのことだ。
自分が付き合っているのは、今日をともに過ごす本当に大切なひとが別にいる者だけなのだ。
そう答えることが彼女を傷つけるような気がするし、何より可哀想だなんて思われたくない。だから黙る。
『シェリルさん』
『なぁに、ランカちゃん』
テレビの中で小芝居が始まった。
画面外のふたりをよく知るだけに、ミハエルもクランも苦笑するが、チャンネルは変えない。
『今日はケーキをつくってきました。シェリルさんのお口に合うかわからないですけど…』
ランカが真っ白いクリームと真っ赤なイチゴでデコレーションされたケーキをテーブルへ運んだ。
これもまた、通い昔、日本のとある菓子メーカーが大衆にすり込んだ幻想。――ミハエルは、地球の日本って国はなー…、と呆れと愛着を込めてアルトが教えてくれたのを思い出していた。
使い古された言葉で言うなら、心のふるさととでも。アルトは、そのアイデンティティを生まれながらに持つ者だ。
「パインは載っていないな…」
真顔でクランが突っ込む。
「さすがにな。小道具だろ、あれ。収録だって夏頃だったぞ、確か」
「そうなのか?」
「季節感なくなりそうな職業だよなぁ」
「季節感を喪失するという意味では、我々も他人事ではなかろう」
今は、シフトだけが自分たちを支配している。――弱度の警戒態勢という適当なストレスをこちらに与えるだけ与えながら。
テンションを保つことすら、完全なルーチン。
それでも、平和そのもののクリスマスは、職業軍人にもこうしてやって来る。
そして、クリスマスというものに大して思い入れのない者にも平等に押しつけがましさを発揮してくる。
「…ケーキ、おいしそうだな…」
見ていたら空腹が増して感じられクランは思わず呟いた。
「食うか?」
「えっ?」
ミハエルは、カウンターの内側に行くと冷蔵庫から皿に載った何かを取り出した。
「じゃーん。と言うほどでもないが」
「これはどうしたのだ?」
「LAIの製品。余ったのルカがくれた」
余った、という言葉の冷ややかさとは裏腹に、可愛らしいチョコクリームのブッシュドノエルだった。
「うわあ…」
きらきらと目を簡単に輝かせてくれる。
「切るか」
適当に引き出しを開けて行き、いくつか目から包丁を取り出す。
普段、このバーカウンターはボビー大尉の仕切りだが、彼は備品を元通りにさえしていれば何も言わない。そのへんはさっぱりと男らしいのだ。
『今、テレビの前のみんなは誰と一緒にいるのかしら?』
『お仕事の最中のひともいますよ、きっと』
『私たちみたいにね』
『もうっ、お仕事があるのはシアワセなことなんですよーっ!』
と、下積み経験のあるランカらしい発言。
『そうね。――そうよね、ごめんなさい』
くすっと笑うシェリルには、芸能界の下積み以上に苦しい過去がある。
だが、そういうことを言い出せば、ランカにも似た背景がある。四角いフレームの中にある別世界のふたりは、とてもそのようには見えなかった。
その歪みを補って――いや、だからだろうか――輝いていた。
「…」
クランはカウンターの中のミハエルを眺める。
器用にケーキを三分の一と三分の二に切り分けるこの幼なじみも、事情を知らない者が見れば、妬まれて然るべき才能と美しさに恵まれた存在でしかないだろう。
『誰かを想いながら、ひとりでいるひともいるのかな…』
『…』
『そんなカオしないでよ、ランカちゃん。ちょっと聞くだけじゃ寂しいかも知れないけど、アタシはそういうひとスキよ』
いつも、しあわせを願っていた。
会えなくても。
『そんな想いすら持てないひとが世の中にはたくさんいるのよ?、それに比べたら、心にそういう存在がいるってだけで羨ましいくらい豊かだわ』
「…」
ミハエルはケーキを差し出した。――彼女に差し出せるのはケーキだけだ。
「どうぞ」
せめて大きな一切れを。子供じみていて、自分でも笑える。
「す、すまない…」
「何が?」
自分の分が大きいから?
「気が利かなくて。皿も出さなかった」
「お前にそんなの期待してないさ」
いつも、しあわせを願っていた。
会いたくても。
会わずに、この心を閉じこめたことが本当に豊かなことなのか、それはわからない。
「そういえば、アルトは?」
「宿舎で寝てる。あいつ勤務じゃないもん」
「そうか。あっ、」
呼んだら来ないかな、と思いついて、クランは慌てて口を閉じた。
「どうした?」
「いや、何でもない」
「そう?」
ミハエルが足の組み方を変え、クランの膝にミハエルの足が触れる。
そのまま。
「…」
…何の僥倖か。
しかしミハエルはもう足の位置を変えなかった。
圧迫に近い緊張が襲い、クランは自分がよけたほうが良いのかと考える。だがそのうちに、触れている部分からふんわり心地よい懐かしさを感じるようになって、クランもそのままでいようと決めた。
『そろそろ時間ね。私とランカちゃんの歌で今夜はお別れしましょう』
『でも、みなさんはまだ起きて、サンタさんを待ってあげてくださいね』
真顔で言うランカの隣でシェリルが笑った。
『ランカちゃんてば、ほんとにカワイイわね』
ミハエルが、不意にクランを見て言う。
「お前、ほんとにカワイイな」
更に、スツールを回して身体をこちらに向けた。
「へっ?」
クランはその仕種を不思議そうに見上げていたが、やがてミハエルの指が口元を掬うように触れた途端、
「ひいっ…」
驚愕の眼で、口元を引きつらせる。恐怖の表情と言ってもよい。
「悲鳴って、お前――」
「お前がいきなりそんなことをするからだろう!」
「悪い悪い」
そう言っているのに、その指をぱくっと食べる。形の良い、あまり肉のついていない指。
「ぎゃーっっ、お前何して…っ」
「これくらいでやかましいぞ。大尉殿は想像力が豊かだなぁ」
想像力じゃない、欲望だ。それが透ける気がするから騒ぐのだ。クランは心の中でだけ抗う。
だが、あまりそこにだけ囚われていると涙が出そうな気がして、残りのケーキをぱくぱく口に運んだ。
会えているのに。
それでも、願いは変わらない。
歌姫たちの歌が終わって、ミハエルが片付けるかと言った。良い頃合いで、クランは素直に頷いた。膝のぬくもりがあっさりほどけた。
ふたりともお皿片付けるの手伝って。私が洗ってここに置いたら、クランが拭いてね。
はーい。
クランが拭いて、ここに置いたら、ミシェルが棚にしまってね。
はーい。
「…」
血縁者の思い入れには及ばないだろうが、クランもジェシカが好きだった。きれいで優しくて、抱きつくとあたたかくて良い香りがした。
こんなちょっとしたことで思い出すなんて、隣の彼はもう卒業して久しいのだろう。見上げると、不機嫌な顔ではないが、別に何も考えていない表情だった。
思わず口をついて出そうになる思い出を、クランを慌てて飲み込む。
笑って話せるようになれば、とは言わない。だけど、いつか聞かせて欲しい、たぶん、しあわせだったあの頃のことを。
しあわせがどんなものかわからない。
もしかしたらクランが考える「普通」というものと同義であり、そうであれば、それに染まるのを彼が嫌っているのも知っている。
だけど、非凡であることがしあわせなのだろうか。通常と引き替えに手にする輝きが。
しあわせになって欲しい。――彼にはしあわせになって欲しい。「さて。仮眠でもするか。食ったばかりで寝るのは身体に悪そうだが」
棚の戸を閉めて振り返る。
「でも、おいしかったぞ」
「なら良かったけど。お前はサンタ待たなくていいのか」
「子ども扱いするな」
はっはっは。こういうときの彼の笑い声は、厭味を通り越して爽快ですらある。
ふたりはそのままラウンジを出て、左右に分かれた。
「ミシェル」
「うん?」
「あ…ありが、と…」
「おう」
右手を少し挙げた。「メリークリスマス」
「め、めり、くりすます」
クランは数歩後ずさり、そこでぎこちなく回れ右をすると走り去った。
…。
この後、仮眠室に飛び込んだ彼女がどうなるか、簡単に想像がついた。それほど自分はクランに何もしてやっていない。する理由がないから、彼女は責めてこないが、心はやはり痛むのだ。
こんなもんで、ありがとうと言われるなら、いくらでもしてやれるはずなんだけどな。
当直明けの登校は、さすがに眠い。
いつもなら出席日数が足りている授業であれば休んで、誰か使える女の子にノート――どんなに科学が進んでも手書きに代わる情報処理方法はないのだ――さえとってもらえたら良いのだが、今日は野暮用があった。
「ルカ」
お行儀のよい後ろ姿に呼びかけると、可愛い後輩は予想通りの笑顔をこちらに向ける。
「おはようございます、先輩」
「おはよ。昨日ありがとな」
この言葉をルカに言うこと。これが今日のミハエルの野暮用。
Fin.