JUST THE WAY YOU ARE


【 両国 15:31】

 そらのかたちはなんだろうまるさんかくしかくそれとも


「両国、何をしてる?」
両国のいる車両へ入ってきたのは都庁だった。
「落語見てる」
それは見ればわかるがそういうことを訊いているんじゃない。都庁は溜息した。「お前は今日を無為に過ごすつもりか」
「いや、そんなつもりはないんだけどよォ」
それでも、膝の上のDVDプレイヤーを置こうとしない。
 都庁は両国の隣に座ると、流れる映像を覗き込む。
 演目は「そば清」だった。
 蕎麦賭けに――相手に指定された量の蕎麦を自分が食べ切れるかどうかに金銭を賭け――連戦連勝、稼いだ賭け金で家すらも建てた清兵衛という男がいた。
 その清兵衛は旅の途中に通りがかった山中で、猟師が巨大なうわばみにひと飲みにされるのを目撃してしまう。
 さすがのうわばみも人間ひとりを飲み込んだのはつらかったのか、山の奥へ帰って行くのも、膨れた腹を引きずり大変苦しそうである。
 またそうする間にも腹の中で飲み込まれた猟師が暴れているらしく、時折腹が内側からぼこぼこ突かれていた。清兵衛は怖いもの見たさで目が離せず、うわばみの後をつけることにした。
 やがてうわばみは、何やら獣道の脇に生えている赤い草をちらちらと舐め始めた。清兵衛はその様子をじっと見つめた。うわばみが舐めているのは、清兵衛の知らない植物だった。
 どのくらいそうしていたのか。だがそのうち――何と、うわばみの腹がどんどん凹んでいったのだった。
 清兵衛は思った。今うわばみが舐めたのは、食べたものを消化する薬だ。
 次に蕎麦賭けをするとき、隙を見てこの草を舐めれば必ず勝てる。いくら蕎麦を食べても、この薬がどんどん蕎麦を消化してくれるのだから。そして賭けに勝てさえすればまた金が入る。
『せいろ六十で十両ってのはどうです?』
江戸に戻って清兵衛は大勝負に出た。
せいろ六十枚で十両。これでやりましょう。
「都庁さんこれ見るの初めてか?」
「ああ」
じゃあ、もちろんオチは知らないのか。両国は視線をディスプレイに戻した。
 せいろ五十枚目を過ぎたところで蕎麦が入っていかなくなった清兵衛は、別室で休ませて欲しいと願い出てそれが受け入れられる。
 そして清兵衛はその別室に籠もって、当初の計画どおりあの薬を使い始めた。障子に阻まれて外から姿は見えないものの、草を舐める音がしばらくぴちゃぴちゃと続いていた。
 だがそれがやがて聞こえなくなってしまう。

 清さん、悪あがきはおやめなさい。
 清さん?、あれ?、返事がない。
 清さん、開けるよ?

 障子を開けてみればそこには、蕎麦が羽織を着て座っているだけだった。――

 門前仲町の駅を通り過ぎ、急に車内が明るくなった。そしてまた暗いトンネルに戻る。
「考えオチってやつだ」
両国は、隣の都庁がやっと息をついたらしい気配を感じた。俺も最初にこの噺聞いたときはそんなもんだったっけ。
「ブラックだな…」
車内の空調設定が何度か下げられたかのようなひんやり感。都庁は思わず自分の腕を抱いた。
 しかし両国のほうはこの落語の後に似つかわしくない、清々しいほどの無表情だった。
「――俺たちも、この…人の姿を失ったら何が残るんだろうな」
普段騒がしいほどパワフルな両国の横顔が、今は静けさをたたえている。
「どうした、急に」
「急じゃあない。毎年開業日が来ると何だかナーバスになっちまうのさ」
たくさんの誰かの、思い入れやイメージが服を着ている自分たち。
 いや、それすらも果たしてそうなのか?
 蕎麦ではないけれど、それなら何で自分はできているのか。
 時代劇が?、花火が?、相撲が?――
「私たちのすべてが人から与えられたものだからか?」
開業日は、誕生日の側面として、いわばそれを実感せざるを得ない日でもある。
「かもな。だがそれを嫌だと言ってる訳でもないんだ。俺は、時代劇が好きで花火が好きで相撲が好きで、両国って土地が大好きな自分のこの在り方には満足してるからさ。…わかってくれるかい?」
ああ、と、都庁は深く頷いた。
 両国自身、この悩みに解決の方法があるとは思ってはいないだろう。それは見ればわかる。だが都庁は敢えて言葉を添えた。
「人から与えられて生まれたとしても、私たちが後天的に得たものこそが、私たちを独立した存在にしてくれると…そう思うようにしているが」
「後天的ねェ…」
生まれたときには持っていないもの。
 どうしたら確認できる?
「俺、とりあえず自分とこで降りるわ。今日は特に、両国に来てくれたお客さんの顔、見ないとな」
両国は立ち上がって、シートに座ったままの都庁を見下ろした。それを受けて都庁は少し口角を上げる。
「ああ。行ってこい」

 両国はホームに降り立った。
 ――今日のラッキースポットが大江戸線の両国駅なんです…。
 俯いたうなじの細さ。
 凜と前を向いて歩き出した美しい強かさ。
 まぁ、しかしだなァ…。
 自分の未来にそれが再び訪れることがあるとは到底思えなかった。あの彼女のラッキースポットがいつかまた自分になる日がくるのか。それはわからない。
 それでも。
 乗客との出会いは、間違いなく自分が後天的に得たものだ。

 それなら、今日も自分はひとを待つだけなのだろう。

To be continued.

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