JUST THE WAY YOU ARE


【 月島 19:01】

 久しぶりに会った彼女は初めて会ったときの、無知ゆえの無防備さとおっとりした空気を失っていたが、闇雲に明るいだけだった笑顔に分別と落ち着きを加えていた。
 非常に簡単な一言で言うと、成長、したのだろう。それがじゅうぶん感じられた。
 教養は余るほど身につけさせられていただろうに、それを人生の判断材料にすら使えず迷っていたかつての顔ではない。以前それを悲しく眺めた月島には彼女の変化が嬉しかった。
 しかし、月島川から何となく西仲通り商店街に向かう道すがら、歩くほどに何故か姫乃の表情が暗くなる。
「月島様」
「はい、何でしょう」
とうとう姫乃は立ち止まってしまった。小さい真っ赤な太鼓橋の上だった。
「今日お会いできたのは、わたくしの悩みが解決されていないからですか?」
脇の公園で遊ぶ子どもの声は無邪気に響く。
「いいえ。何故そう思うのですか?」
「わたくしは、病床のお父様にまで心配されるような、頼りのないままだからです…」
俯きがちになる視線を、保とうと努力しないといけないほど彼女はダメージを受けているらしかった。
 ぽそぽそと彼女が話す事情で、国立競技場駅でほんの一瞬視界に入ったのは、やはり彼女の姿だったのだと思う。
「着物は、ご自分で着られたのですか?」
「?、はい」
そうですか、とても素敵ですよ、と言って、しみじみ眺める。彼女は見つめられる気恥ずかしさにだろうか、俯いてしまった。
「あなたはこうして努力して、自分でできることを増やしているではありませんか。それどころか、お父様がくださるご心配を、一層有り難く思うようになられた。あの日と同じ悩みに立ち止まっているのでは、もうないはずです」
「では何故ですか?」
問われて咎められているような気分になるのは、自分の心持ちのせいだろう。月島は苦笑するしかなかった。
「今日こちらに参上したのは、完全に、私だけの意志です」
 来る者を拒まず、去る者を追わない生き方を強いられている自分が、こうして再び、一度見送った客の前に姿を現してしまった。
 自発的に。
 おそらく誰もそれを咎めたりはしない。わかっている。けれど自分は知らないうちにそれを課していた。
 だから、そうしたがる気持ちが発露した理由を、この期に及んでまで敢えて考えないようにしていたのだ。しかしそれももう限界らしい。
 いい加減、これ以上耐えるのは滑稽というものだろう。
 月島は姫乃の腕を掴んだ。指からするりと逃げてしまいそうな絹の感触。

 離す、ものか――。

「今日、どうしても今日、あなたにお目にかかりたく――なってしまって…」
顔に緊張が出ていないだろうか。今更それが気になった。
「月島様…」
自分がそんなことを言い出すなど、おそらく想像だにしていなかったのだろう。姫乃は狼狽に近い反応を見せた。
 が、拒絶はしない。掴まれたまま腕を預けてこちらを見上げる。
「月島様」
「はい」
「私、自分で申し上げるのもおこがましいのですけれど、本当にいろんなことに挑戦してみました」
今、MBAを取得しようと勉強しているんです、と、にこっと笑った。
 その他にも、お料理したり、お買い物したり、自動車教習所に行ったり、もちろん今は地下鉄にもひとりで乗れるようになりました。乗り換えだってできます。
 しかし彼女は言い募るほど寂しそうに瞬きして、ある告白をした。

「でも、もんじゃ焼きは、あんなに好きになりましたのに一度もできませんでした――」

 慌てて唇を噛みしめる。感情が漏れないように。
 ああ、そんなふうにしなければならないほど、彼女は強く自分を覚えていてくれたのだ。

「あの日あなたから旅立ったのに、またお会いしたくなってしまうから…ッ」

 だが今、彼女の想いはその瞼を震わせている。そして、その光景が更に自分を勇気づけるのを感じる。
 月島は彼女から手を離すと、自分の襟巻きを取った。もうお守りは要らない。
「姫乃さん、ありがとうございます。良い開業日になりました」
風が吹いて、着物に似合うようまとめていた彼女の髪を少し解く。
「そうでした、月島様のお誕生日なのですよね」
薄く、潮の香りが流れた。生まれたときから知っているこの街の香り。
「はい。願わくば、もんじゃにお付き合いいただきたいのですが」
そして、マゼンダ色の襟巻きで彼女の首もとを包んだ。
 一瞬驚いた後、唇が、やっと微笑みのカーブになる。
「もちろんです…!」

To be continued.

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