bonds of friendship on the other day

 

1.

「もう、耕一郎ったらどこに行ってたのよおー」


 もう日が落ちる直前だった。10月の半ばとなれば、すっかり日は短い。
 放課後、逢魔が時のデジ研の部室はもう照明を点けていて、それより暗い外との間を隔てるガラスには、いつもと変わらない様子の5人が映っていた。
「ねえねえ、知ってる?」
みくが、その窓へ寄ってブラインドを下げる。しゅっ、という音に5人の姿はかき消えた。
「なんだよ?」
と、反応したのは健太だけ。受験生のくせに、毎週決まった漫画雑誌を仕入れてくるのは変わらない習慣だ。その雑誌を閉じてこちらを見てくれるのは、健太の優しいところである。
 パソコンの情報誌を見ていた瞬と千里は、何を知っているか目的語をこちらに伝えてから訊け、という顔でみくを見ただけ。その視線にみくが一瞬だけひるむ。
 耕一郎はカチカチと働くブラインドタッチの手を休めていない。一応、部のHPのメンテなどをしているらしい。――最近は他の生徒に伝えてはならない話題で5人の生活が埋め尽くされてしまい、これと言った情報の更新はないのだが、真面目な部長は教頭から活動内容に注意を受けてからというもの、定期更新を怠っていないのだ。
「T工大の廃校舎に日が暮れてから何人かで行くとね、その人数がひとりが減るんだって」
耕一郎以外のメンバーの顔が、声を出さずに「はあああ?」と言った。負けじとみくは喋り続ける。「噂だけど、あの大学って、学会を追放された教授が行方不明になったとか、何かいろいろあるみたいじゃない?」
「何よ、その“何かいろいろ”って」話を半分以下にしか聞いてない千里が、雑誌を閉じた。しかし健太は、
「じゃあ行ってみようぜー、どうせ暇なんだし」とすぐに立ち上がる。「ホラ、時間もいい頃合いみたいだしさ、面白そうじゃん」
 静まり返った空気の中で、カタカタ、と耕一郎のキータッチの音だけが響き渡る。
「あ、でも…」とみくは、その耕一郎を見た。そんなくだらないことに時間を遣うなと言ってくれるのを期待してのことだったのだが、「先に行ってくれ。キリのいいところで行くから」との返事。
 残る理性派のふたりも、いい加減雑誌に飽きていたらしく、帰り支度を始める。
「えええーっ。本当に行くのお??」
「言い出しておいて何だ」瞬が面白そうに笑って、みくの頭に手を遣った。


 T工業大学は、諸星学園高校からさして離れていない場所にあった。耕一郎は既に出てしまった4人を追うべく、部室に鍵をかけてグラウンドを横切った。
 空の、ごく低いところにだけまだ夕暮れが残っている。それを見上げた。
 耕一郎には、この季節のこの時分の空模様には少しばかり思い出があった。
 よく覚えていないのだが、まだ小学生のとき、サッカーの練習の帰り道――それは彼にとってひどく慣れていた道だったのにもかかわらず――に迷ってしまい、自宅からひどく離れた場所まで親を迎えに来させたことがある。
「もう、耕一郎ったらどこに行ってたのよおー」
もう12歳であり、既にこのとき兄弟が下にいた耕一郎は、そう言って抱き締めてくれた涙声の母に対して全く素直になれなかった。普段ぱりぱりしているひとが、しおれていたことへの驚愕が、耕一郎を動けなくしてしまったのだ。
 ただ棒立ちのままに、少し化粧のかおりのする抱擁を受け、次に父親の厳しい鉄拳を受けた。ごつん。
「痛い…」
「どこをほっつき歩いてた!、心配したんだぞ!」
 その後、丸一日の時間をひとりで歩いて過ごしたのだと聞かされたが、耕一郎には現在でも全く身に覚えのないことである。
 しかしそのことが忘れられない出来事であるのは、両親の全く対照的な愛情表現もさることながら、愛用のサッカーボールが、その日以来見当たらなくなってしまったからだった。
 モルテンの、白い六角形と黒い五角形の牛革が手で縫い合わせられた、典型的な、だが高品質なサッカーボール。与えられたときは幼くて価値が分からなかったが、けっこう高価だったろうと今なら思える。
 買ってくれたのはやはり両親だった。別に耕一郎に年少からサッカーを植えつけるつもりでそうしたのではなく、その頃の両親は弟と妹にかかりきりであり、長男である自分が自然と放任状態となってしまったのが哀れだったらしい。
 目的の建物は3階建てで、T工業大学の敷地の中央部に位置していた。今は使われていないようで、木製の枠にガラスをはめた戸は白いペンキもはげて、覗いたところ、中もひどい埃のたまりようである。先行した四人の靴の跡が奥へ続いていた。
「…」
大学の中央にあるくせに、誰も使わない校舎。遠くから学生の笑い声がかたまって聞こえてきた。しかしツゲの木の垣根で声の発生源は見えない。
 その人気のなさだけでじゅうぶんに不気味だった。みくの言った噂がたったのも、そのあたりに理由がありそうだった。
「耕一郎」
2階の窓から千里が顔を出した。笑いながら「まだ人数は欠けてないよ。みんな一緒」と言って手を振っている。「早く耕一郎もおいでね。2階で待ってるから」
「ああ」
千里は耕一郎の返事を聞いてから、中へ戻っていった。
 耕一郎は、入り口の戸に手をかける。――そこで彼は眩暈のような、一瞬の漆黒を見た。

「?…」
 そして彼は何かに呼ばれた気がして振り返った。
 しかしそこは見たことのある景色。耕一郎の視界は、入ろうとしている建物の玄関から、その後ろを振り返るかたちだ。
 それはとりもなおさず、彼がほんの少し前までいた場所である。みくが言い出した噂を確かめようという、半ば肝試しのような道行きの途中。
 T工業大学の校舎が見えた。
 間違いなく先程と同じ場所である。耕一郎はそのまま視線を左右へずらした。校舎の入り口が照明に照らされている。脇に立看板があった。

 ――平成四年度学生募集要項配布中。

「耕一郎―っっ」
健太が声量に任せて、大きな声を出した。「早く来いよーっ」
 しかし、耕一郎の返事が階下から聞こえることはなかった。
 もう完全にあたりは暗い。この探検を言い出したみくがその暗闇に一番怯えて、千里の腕をがっちり抱き締める。「ひとり人数が減ったよぉ〜!!」
「みく、もう…。何なのよお」千里は邪魔臭そうに腕を惹き抜いた。「噂でしょ、噂」
瞬は窓から下を見た。しかし誰もいない。少し戸が開いている。「もしかして、耕一郎はもう中にいるんじゃないのか?」
「じゃあ中をもっと捜してみようぜー」
健太と瞬が更に建物の奥に向かって進む。その後ろを千里はみくから離れて迷わずついて行く。みくだけが、その場で地団太を踏んだ。「噂がホントになったんだってばっ。真っ暗だよっっ。もう帰ろうよお」
「…」
瞬がきっと鋭く立ち止まった。みくは自分の無責任さを責められるのだと思い、きゅっと腕を自分の身に寄せて、おずおずと瞬を見上げる。「瞬〜…」
 しかしそうではなかったらしい。瞬は唇に人差し指を当てた。「…誰か来る」瞬は来た方向を見つめた。
 非常事態に際しては即座に最悪を予想して緊張できてしまう悲しい癖。彼らはただの高校生ではない。
 他の三人も瞬と同じ方向へ視線を合わせる。広がる暗闇。しかし奥から聞こえたのは、
「おーい、みんなあ、いるのかあー?」
ひどく、その場にそぐわない脳天気な声だった。
 その声の主が誰かは四人にも分かった。――早川裕作である。
「あー」健太がしゃがみ込む。「どうしてあのひとはいつもこうなんだよ。何で俺たちのいる場所が分かるの?」ピンチのときに助けてくれるのは有り難いが、どうして自分たちの行く先々に現れるのだろう。
「仕方ないだろ。これをしている限り、俺たちは常に捕捉されてるんだから」と、瞬が左手首を見た。
 階段の下から懐中電灯の光の筋が上がってくる。その光の向こうから、無彩色とその対極の色が顔を出す。裕作の白いジャンパーと黒い革のパンツ。
 彼はいつもと変わらない様子だが、最初からここに来る心積もりだったようで、懐中電灯とアウトドア用のカンテラを持っている。そして反対の手には、明らかに買い物と思われる白いビニール袋。
 四人の周囲が照らされて明るくなった。「やだなー、瞬。人聞き悪いよ?、別に始終監視してる訳じゃないさ」
「似たようなものでしょう?」とは言ったが、瞬は決して不機嫌な顔ではない。裕作は笑って四人の顔をそれぞれに見た。
「うん。でも、今日は違うんだなあ」にやり。それは何か楽しい企みを隠しているときの笑い。「そうなの、“今日は”ね」
 すると、まるで突如現れた裕作がその知らせを持ってきたように、久保田から連絡が入った。甲高いいつもの呼び出し音の次に、それと同じくらいやかましい久保田の声。
「先ほど異常なエネルギー波形を捉えた。場所はちょうど、T工大の敷地内だ」
 何たる“偶然”!――と、思われる事態となった。
「おっさん。今俺たち、ちょうどそこにいるんだわ」
口調とは裏腹に健太は表情を締める。誰かひとりが欠けるというのは、噂話にとどまらないのかも知れない。
「そうか。それにしても何故そんなところに?」
久保田が訝しがるのも無理はなかったが、
「ちょっとね」話せば長くなってしまうので笑って適当に割愛。健太の言葉に、瞬と千里はみくを見た。みくは肩をすぼめて舌を出す。
「まあいい。何かあったら連絡して欲しい。お前たちで処理しきれないなら早川をそちらへ向かわせよう」
そして一同は、裕作を見た。
「はーい!、早川、ここにいまーす!」
「早川ッ。お前もどうしてそこにいるんだーっ」
ガラスがびりびりしそうな大音声に、連絡を受信した健太は左手首をできるだけ耳から遠ざけ、裕作は耳を塞ぐ。
「…そんな瞬間的に沸騰しなくたっていいじゃないスかー」
どうせいつも最終的には俺の出番になるんだから、と反省の色も見えない発言をすると、やはり久保田は更に怒った。健太は一旦戻しかけた腕をまた遠くにする。
 しかし裕作は怯まない。
「博士、分かってるんでしょう?」
「…」
「俺がここに来たのは“必然”ですよ」
 この裕作の不敵な発言から何故か久保田は勢いをなくし、交信はすぐに切れた。その不自然さに言葉が出かかったが、
「ねえ、みんなで焼き芋しよう」。久し振りに商店街を通りかかったら、八百屋のおばちゃんが俺のこと覚えててくれて、嬉しかったから買っちゃったー。
裕作は、四人の腑に落ちない様子に気付いているのかいないのか、すぐ階段を下り始めた。
「ちょっと裕作さんっ」千里が裕作を追った。そして、他の三人を振り返る。「ねえ、いいの?」
「さあー」とりあえず外に出ようぜ、耕一郎も中にいないみたいだしさあ、と健太は裕作について行く。
「…結局人数は減らなかったね」
疾風のようなドタバタが一段落したのを感じ、みくが安心したように言った。そのことばかりにとらわれている彼女。問題の根本がもっと別のところにあることも知らずに。
「――減って増えて、プラマイ・ゼロなんだよ」
その隣で瞬が、前方を元気良く突き進む裕作の背中を眺めていた。「耕一郎が裕作さんと入れ替わっただけなんだよな」
 その裕作が先頭になって、一団は校舎のほうへ引き返す。そして、現在使われているほうの校舎の入り口脇に立つ看板に立ち止った。
「お。もう募集要項の季節なんだ」
 その立看板にはこう書いてあった。

 平成十年度学生募集要項配布中――。

To be continued.

 

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