A WIND AFTER ALL


1.

 何かの幕切れはこんなにも劇的なのか。
 これは、終わってみればすっかりその主人公となってしまった早乙女アルトという人間が、やはり不世出の役者でもあったという証拠なのか。
 クラン・クランと、すべての物の影すら吹き飛ばす巨大フォールドの輪の重なりを、瓦礫と化したアイランド1の中心部で見上げた後のことだった。
 お互いに何も言えずにいた。
 最悪の事態の想像と、それを打ち消す心のせめぎ合いは止みそうになかったが、言葉に出すための判断材料は今のふたりになかった。
 足を伸ばして座っていたクランが窮屈そうに少し足を曲げて、膝を擦り合わせる。左手で右肘から手首までを何度かさすっているようだった。
「どこか痛むのか?」
「いや。私は大丈夫だ。しかしどうしたものか――」
今やふたりは、全く無力である。
「救難信号出して、待つしかないだろうなぁ」
戦いが止んだので命の危険はないが、積極的に艦に戻る機動力は失われていた。
 ミハエルの視力をもってしても、見える範囲の地上には動くものはない。
「静かだな。怖いくらいだ…」
静寂と呼ぶには目に映る光景は物々し過ぎたが、あたりが静かなのは確かだ。
 ふたりが生まれてから感じたことのない無音の世界だった。音のないところに、時折礫が崩れる音や風の音が現れる。
 戦闘から解放された意識が未知のものに反応し始め、その度に、知らない感覚のただ中にいると思い知らされる。
 この星が自転をし、しかも太陽様の恒星が近くにあることを認識したのは、プログラムで制御されていないのに夕暮れが来て、やがて空に星が見えだしたからだ。
「暗くなってきた。星が見える」
空に煙るほどの星くず。見慣れた景色と言えるものがここまで心を落ち着かせるのか。しかしクランは隣で溜め息していた。
「お前はな。私にはまだ見えない」
それからあたりが闇に包まれるまでは、あっという間だった。もう、この長い一日の始まりが何だったのか忘れそうなくらい、神経は鈍化していた。
 暗さに視覚が奪われたクランは、何かあってお前を踏んだりしたら困るから、と、ミハエルをバルキリーに搭乗させた。
 そんなことないだろうと最初取り合わなかったのだが、
「お願いだ。お前に怪我などさせたくない」
と言われてしまい、ミハエルは従って、バトロイドの姿でクランの隣に片膝をついた。
「このまま拾ってもらえなかったら死ぬな、俺たち」
まあ、本当に死ぬかというとそうではないが、それほど誰も来そうになかった。笑いが欲しくなってしまうほど。
「そうだな」
クランも生真面目に否定してくるようなことはなかった。 
 そのとき、風が変則的に吹き――おそらくこれが自然ということなのだろうが――彼女の前髪を揺らした。それを左手で押さえる。
 更に強くなった風を手に負えず、少しクランが笑った。
 大人の彼女は大口を開けて笑う訳ではないが、楽しそうに、はしゃいだ声を出した。
 一緒に笑いながら、いつ来るとも知れない助けを待つのを、苦痛とも徒然とも感じないのは彼女と一緒にいるからだと初めて気づいた。そして自分の隣にクランがいることは、全く当たり前ではないのだということも。
 一歩間違えれば、周囲の瓦礫と同様に。
 いや、それどころか何もかも跡形もなくなってしまっていたかも知れない。この揺れる髪も、アンバランスな言葉遣いと容姿も。
 これは、感謝をすることすら思いつかなかったが偶然と呼ぶのもおこがましいほどの僥倖だったのだ。

 彼女に手が届いて良かった。

 風が止んだ。
 ほっとした表情だが、幾分疲れたようにクランが俯き、そして頭をバトロイドの肩へぶつけた。
「ミシェル」
自分の視線は、赤外線カメラで保たれている。しかもLAIの高度技術のため、視界はシームレスで、まるでクランの頭が肩口にある感覚だ。
「さっきの…さっき言っていたのは本当か?」
だが彼女の目からは自分の表情が直接見えない。この状況は幸いだったと思う。ミハエルは息を吸い込んだ。
「ああ、本当だ」
見られないとわかっているから言えた。今の返事も、先の言葉も。しかも、きちんと真摯さを込めて。
 お前ひとりを死なせはしない。
 あんな状況でのことだ、どさくさに紛れて言った言葉にどれだけの真実が込められているか疑う向きもあるだろう。
「そうか」
だがクランは納得したように呟くと、更に足を縮め、いくらか肩をミハエルのほうへ――正しくは、彼の乗るバトロイドへ寄せた。
 色男の条件反射で女の子を抱き留める動作に入る。しかし、ミハエルがぐっと左のレバーを引いたとき、全身に異常音がしてコントロールパネルに警告が光った。
「悪い。駆動系がもうダメだ」
苦笑するしかない。自分の生身の身体は全く異常がないが、今の彼女を支えようとする仮の身体は相当にがたついていたらしい。かろうじて右は腕のすべてが動くようだった。
「右手しか動かない」
もどかしさが身を焦がす。
 それでもミハエルは、動くほうの手だけでも彼女へ伸べた。
 ぎこちなく動くのは、この右手さえ限界が近づいているということなのか、それとも、自分の動きが正しくトレースされているせいなのか。
 何だ、そんなことか。クランの唇がそう動き、震える手へ、グローブをしていても細い彼女の指が触れる。
「それで十分だ」
彼女は、動かない以前にぬくもりすらないはずの機械へもっと身を寄せてきた。
「お前にだけは生きていて欲しい。ずっとそう思っていた。それは今も変わらない」
独白なのか告白なのか、続いた言葉はミハエルの胸を押し潰す。知っていたはずなのに、改めてざくざくと刻み込まれていく。
 物理的にではなく動けなかった。
 重ねられた手。その指がやがて彼女によって積極的に組まれる。
「それなのに、意外だった」
彼女は何故か饒舌になっているようだった。
 相変わらず暗い中で、見えていないだろう彼女が、身体の記憶だけでカメラに視線を合わせた。それが何かを急いでいる合図に思え、不安に心臓が速くなる。
「おい、クラン――?」
赤外線が捉えるのはモノクロのように色が反転しているが、その瞳の色は真っ青に違いない。
 知っている。
 今、自分が右手だけを動かしている機体の色と同じはずだ。
「死んでくれると言ってくれたことをこんなに嬉しく思う、なんて――」
 

To be continued.

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